CAVOK日記
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2013/6/26 (水) Guzelce

今日は艇でゆっくりする予定で午前中艇での作業をする。ここの町と交通機関を調べがてらお昼を食べに町に行く。ATMで現金をおろそうと思ったがATMもなかった 仕方無いのでバスに乗り近くの町に出てみる。降りたところがレストランもない商業地区だったので、次の町に又バスで向かう。結局着いた所がメトロと云う長距離バスのターミナルだったのでイスタンブール迄行くことにした。
 イスタンブールでは金角湾を跨いでいる橋の下にあるお店でイスタンブール名物サバのサンドウイッチを食べる。今までサバをみて小さめで脂の乗りも悪そうなので食べる気がしなかったが名物なのでトライしたところ脂がのって大変おいしかった。
 ここのお店もアルコールは置いてなくアイランと云うヨーグルト飲料を飲む。回教徒の国なのでお店の種類によっては出さないことになっているそうだ。
 CAVOK5でボスボラス海峡に来ていないので遊覧船でボスボラス観光をする。
 金角湾から出て黒海に向けて行はヨーロッパサイド、帰りはアジアサイドを観る。緑が多くヨーロッパサイドは所々オスマンが作った立派なパレスがあり1453年コンスタンチノーブルが陥落する一年前にメルフィト2世が建てたルメリ・ヒサルの城塞が巨大な塔と共に残っている。丁度ボスボラス海峡の狭くなったところにありボスボラス海峡を通過しようとするヴェネチア、ジェノバの船を大砲で狙ったそうだ。
 そして両サイドともに豪華な屋敷が並んでいた。
 帰りもトラム、バスを乗り継いでマリーナに帰るが途中スーパーマーケットに寄り必要な飲料水、食糧を購入して我々も一緒に車で艇までデリバリーしてもらう。
 夕食は昨日の残りのラタトーユのパスタとラムのグリルを頂く。


(ID# 437)
2013/6/25 (火) Tuzla~Guzelce(40NM) 快晴 無風から20ノット迄

 朝7時30分に陸に上がりRihatさんとテラスで朝食をとる。RihatさんはA級ディンギーが好きで2週間前シシリアでA級のヨーロッパ大会に出てきたそうだ。成績が振るわず残念がっていた。10月にここツズラでA級の大会があるので是非参加するよう誘ってくれた。
 彼も又日本でのA級の大会に是非出場したいとの事だった。2011年の大会では参加予定をしていたが都合が悪くなり行けなかったそうだ。
 沖止めしてあるCAVOK5に彼が来て見学したのち9時30分にブイ舫いを解きGuzelceに向かう。今日は午後3時過ぎから北風が強く吹き始めるので先を急ぐ。
 出来ればボスボラス海峡を覗いて行きたかったが遅くなりたくなかったので遠くに見て西にあるグゼルジェに向かう。
 この海域はフェリーの往来が激しく360度ウオッチしながら機走する。
 途中帆走で2時間程走れたがその後風が止まり、予報通り3時過ぎから北風が20ノット位吹き始める。
 風が強くなる前の16:50にGuzelce marinaに入港する。
 すべて施設が揃っているマリーナだがイスタンブールから少し離れているせいか静かだ。そして大きなモータークルーザーが沢山係留してあった。
 町に出てみるが付近は新興住宅地で町はATM機もないほどちっぽけだった。
 夕食はラムのグリルとインゲンの付け合せ、ラタトーユそしてご飯を頂く。
 こちらに来て牛肉よりラムの肉の方が微妙な脂で味もあり美味しい。
 食後デッキでオンザロックのグラスを傾けながら、月見を楽しみ就寝する。


(ID# 436)
2013/6/24 (月) Turza 快晴

 朝7時に奥村さんがここから事務所に行くので我々も一緒に車に乗せてもらい近くのPendikの港で降ろしてもらう。
 ここからフェリーに乗って一昨日まで居たYalovaに行き、そこからバスで再度Bursaに行く。前回観光だけでハマムに入れなかったので温泉町のブルサのCelik Palasと云うホテル内のハマムに行く。ここは奥村さんに教えて頂いたお薦めのハマムだ。
 大変綺麗な一流ホテルのスパの感じのハマムでゆっくりお風呂に浸かったりサウナに入ったり、悦子はリラックスマッサージを私はタイ式マッサージを受ける。悦子は垢すりをしてもらったがタイ式マッサージは垢すりが無く残念だった。高級ホテルのハマムだったせいか料金は二人で500TL(約25000円)した。
10時過ぎから15時過ぎまでハマムでゆっくりして帰りにトリとラムのケバブを食べて逆ルートで18時過ぎに帰る。
 ここのオーナーのRihatさんが今日遅く滞在先から帰ってくるとの事で明日朝食をご一緒にとのお誘いを受ける。
 お昼が遅くなりお腹も空いてなかったので、夕食は艇で残り物を頂く。綺麗な夕日がマルマラ海に沈んでいった。


(ID# 435)
2013/6/23 (日) Yalova~Turza(10NM) 快晴 無風

 マリーナ事務所が9時オープンなのでそれに合わせて清算する。6泊で375EURだった。
 イスタンブールのアタコイマリーナに停泊すると一泊120EURするので大分得した。
 9時15分に隣に係留してあるDestiny号と再会を約してお別れして出港する。いつも長い事一緒にいた艇との別れはつらい。
 穏やかな海面を当初東の風を受けてセーリングを楽しんだが1時間ほどでこの風も止まり機走でツヅラに向かう。
 ここは半分マルマラ湾に開いた浅い入り江で小さなレジャーボートがブイに30隻位舫ってあるところだ。奥村さんが電話してくれたらゴムボートで迎いに来てくれてブイに舫ってくれた。  そのゴムボートで上陸してペンションで昼食を頂く。ペンションと云ってももともとここのオーナーのRihatさんの別荘をもとに棟を継ぎ足して作ったところだ。
 Rihatさんは船が好きで庭には古い修理が大分必要なようなクラシックボートが数隻置いてありA級ディンギーは沖止めで3隻、庭には10隻以上置いてあった。すべて木造艇で、ニス塗で綺麗に仕上がっていた。
 夕食は隣のシーフードレストランに行き魚を見てからカレイのグリル、魚の串焼きオードブルでスズキのマリネ、オーベルジン、サバの燻製を注文してペンションに届けてもらう。海辺のテラスで夕日を見ながらのご馳走に舌鼓を楽しむ。
 テンダーを借りて艇に戻りブイ舫いをしているが用心のためアンカーも打ってから眠りにつく。


(ID# 434)
2013/6/22 (土) Yalova 快晴

 ヤロヴァ滞在6日目になる。連日出かけていたので今日はCAVOK5で整備兼ねて休養する。  右舷航海灯のカバーが接触して飛んでしまったので新しい航海灯に付け替える。又トルコはプロパンガスの規格が違ってコネクターが違うのでコネクターを町のガス屋さんで買って付け替える。ガスボンベは昨年クロアチアでミーティングしたトルコ帰りの“てまり”から譲って頂いたものだ。
 6月11日のボズカーダから今日まで一緒の行動をしたDestiny号のJohn、Eva夫妻と明日別れるので今晩CAVOK5でサヨナラ会をすることにした。準備で悦子と町に買い物に出かける。町は大変活気があり何でも揃う小さな店が無数に集まった大バザールがある。
 野菜市場で新鮮な野菜を買う。
 明日はここから10NM程北にあるTuzlaに行く予定だが、ここはイスタンブール在中の奥山さんの知り合いのRahitさんがペンションを経営している場所で、そして彼はトルコの12フィッタークラスの会長でもある。
 奥山さんが夕方ヤロヴァに来てくれCAVOK5で一泊して明日一緒にTuzlaに行く予定だ。
 夕方彼女が来て、John夫妻と胡麻たれイチジク、野菜サラダ、いなり寿司、ラムチャップを頂きながら白、赤ワインを楽しむ。John夫妻とはトロイ遺跡、イスタンブール、ブルサ等あちこちと一緒してマリーナではハッピーアワービールを楽しんだり交互に招待し合って食事をしたり、大変楽しい旅行を2週間させてもらった。


(ID# 433)
2013/6/21 (金) Yalova 快晴

 ヤロヴァは便利なところでマリーナからフェリーもあり、バスターミナルも直ぐ脇にあり今日はJohn夫妻とブルサ(Bursa)にバスで行く。
 約1時間でブルサのオトガル(町の郊外にあるバスターミナル)に着く。そこからタクシーで町まで行く。
 ブルサは温泉とシルクロードの最終地点で有名なところだが思ったより大きな町で大変賑やか町だった。そしてエディルネに代わるまでオスマン帝国の首都であった。
 ブルサを代表する緑のタイルの寺院 イェシル・ジャーミィ、ターコイズブルーの外壁が美しいイェシル・テュルベ等々を見て回るうちに時間が無くなり楽しみにしていた温泉地でのハマムに入ることが出来ず諦めて帰る。
 夕食は隣の艇のEvaさんがフランス料理を作ってくれDestiny号のデッキでご馳走になる。ダックのグリルが美味しかった。


(ID# 432)
2013/6/20 (木) Yalova

 今日も7時30分発のフェリーでイスタンブールの町に出る。
 今日はトプカピ宮殿に行く。トプカピ宮殿はオスマン朝の支配者の居城として1923年トルコの英雄アタチュルクによってアンカラに首都を移すまで400年間政治や文化の中心であった。そこには膨大な秘宝が残されていた。
 因みにアタチュルクはイスラム教での政治を政教分離して近代国家トルコを築いた今でもトルコでは国民に愛されている英雄である。
 トプカピ宮殿では特にハレムの各部屋はイズニックタイルで飾られ装飾の美しさは素晴らしい。
 宝物殿には世界有数に大きいと云われている“スプーン屋のダイヤモンド”と云う86カラットの大きなダイヤを49個のダイヤが囲んでいる。眩い光は誠に見事だ。又重さ3㎏と云う世界最大のエメラルドのグリーンも素晴らしい。その他“トプカピの短剣”等々工芸の技術、贅を尽くした財宝、秘宝が並んでいた。
 イスタンブールはオスマン朝になってから一度も侵略を受けたことが無いので膨大な秘宝が略奪されることなく残っている。
 お昼はA級ディンギーの関係でトルコと連絡を取っていたヨット部OG江原さんから紹介を受けた奥村純子さんと地下宮殿の入り口の前で待ち合わせて、一緒に食事する。彼女はトルコ文化交流センターに勤めており、トルコについての著作もある才媛のある方だ。イスタンブール在住18年、大学でも教えているそうだ。
 お昼は彼女の勤めているトルコ文化交流センターがトルコの文化を伝承しながら新しい試みをしているお店に行き、素晴らしい作品が並んでいるビルの5階のレストランでトルコ料理を頂く。彼女の説明で色々頂くが茄子とひき肉を使った料理は特に美味しかった。トルコでは茄子が美味しく茄子料理が多いそうだ。
 今度の土、日曜日にヤロヴァから10NMほど北にあるTuzlaと云うところに遊びに行く約束をして別れる。
 その後我々はグランドバザールに足を運びこれまた膨大にお店が並ぶバザールを覗きながらフェリー乗り場に足を運ぶ。
 ヤロヴァは大きな町だが何とマリーナの近くの店では、アルコールを売ってなく仕方なくイスタンブールでビールを買ってリュックに入れて持って帰る。
 トルコではアルコールを好まない地域がありそこではアルコールが手に入りづらいとの事だった。
 夕食はお昼が美味しく食べすぎたので、胃に優しく昨日の残りと花豆、昆布、つくだ煮そしてお茶漬けで頂く。


(ID# 431)
2013/6/19 (水) Yalova

 今日も7時30分発のフェリーでイスタンブールの町に出る。
 今日はトプカピ宮殿に行く。トプカピ宮殿はオスマン朝の支配者の居城として1923年トルコの英雄アタチュルクによってアンカラに首都を移すまで400年間政治や文化の中心であった。そこには膨大な秘宝が残されていた。
 因みにアタチュルクはイスラム教での政治を政教分離して近代国家トルコを築いた今でもトルコでは国民に愛されている英雄である。
 トプカピ宮殿では特にハレムの各部屋はイズニックタイルで飾られ装飾の美しさは素晴らしい。
 宝物殿には世界有数に大きいと云われている“スプーン屋のダイヤモンド”と云う86カラットの大きなダイヤを49個のダイヤが囲んでいる。眩い光は誠に見事だ。又重さ3㎏と云う世界最大のエメラルドのグリーンも素晴らしい。その他“トプカピの短剣”等々工芸の技術、贅を尽くした財宝、秘宝が並んでいた。
 イスタンブールはオスマン朝になってから一度も侵略を受けたことが無いので膨大な秘宝が略奪されることなく残っている。
 お昼はA級ディンギーの関係でトルコと連絡を取っていたヨット部OG江原さんから紹介を受けた奥村純子さんと地下宮殿の入り口の前で待ち合わせて、一緒に食事する。彼女はトルコ文化交流センターに勤めており、トルコについての著作もある才媛のある方だ。イスタンブール在住18年、大学でも教えているそうだ。
 お昼は彼女の勤めているトルコ文化交流センターがトルコの文化を伝承しながら新しい試みをしているお店に行き、素晴らしい作品が並んでいるビルの5階のレストランでトルコ料理を頂く。彼女の説明で色々頂くが茄子とひき肉を使った料理は特に美味しかった。トルコでは茄子が美味しく茄子料理が多いそうだ。
 今度の土、日曜日にヤロヴァから10NMほど北にあるTuzlaと云うところに遊びに行く約束をして別れる。
 その後我々はグランドバザールに足を運びこれまた膨大にお店が並ぶバザールを覗きながらフェリー乗り場に足を運ぶ。
 ヤロヴァは大きな町だが何とマリーナの近くの店では、アルコールを売ってなく仕方なくイスタンブールでビールを買ってリュックに入れて持って帰る。
 トルコではアルコールを好まない地域がありそこではアルコールが手に入りづらいとの事だった。
 夕食はお昼が美味しく食べすぎたので、胃に優しく昨日の残りと花豆、昆布、つくだ煮そしてお茶漬けで頂く。


(ID# 430)
2013/6/18 (火) Yalova

 朝7時30分発フェリーでイスタンブールの町に出る。
 マリーナの隣がフェリー乗り場で便利だ。行き約1時間30分、帰り1時間10分の距離にある。
 偶然に昨日ヨット部同期の石橋さんの御嬢さんの治子さんが新婚旅行でイスタンブールに来たとの事で、朝一番で彼女らの泊まっているホテルを訪問する。生まれた時から知っている治子さんの幸せそうな顔を拝見して嬉しくなる。
 残念がならイスタンブールは一泊だけでその日は記念の写真を撮る予定もあり、その後イスタンブールを発つとの事でゆっくりご結婚のお祝いは出来なかった。
 その後我々初めてのイスタンブール観光の手始めに町一周の観光バスで一通り回る。丘の上から眺める金角湾、そして旧市街を囲んでいる城壁を見ると塩野七生著“コンスタンティノーブルの陥落”の当時の場面が目に浮かぶ。
ブルーモスク、アヤソフィヤを廻る。想像していた以上に壮大で美しいかった。
 ブルーモスクはオスマン朝の1616年に建設されたもので6本の尖塔を持ち内部は青を基調にしたイズニックタイルで飾られているオスマン建築の最高傑作の一つだ。
 アヤソフィアは西暦325年にビザンチン建設の最高傑作としてローマ帝国の都をローマからビザンチンに移したコンスタンティヌス1世が建設を始めた大聖堂だ。皇帝の威信をかけて建設されたというが見事な建造物だ。何故建造物と表現するとその後1453年のコンスタンティノーブルの陥落後、スルタン、メツメット2世によってモスクに替えられてそして現在はアヤソフィア博物館と歴史の変遷の所以からだ。
 ビザンチン時代のモザイクは漆喰で塗りつぶされたが20世紀になり壁のモザイク画が発見され素晴らしいビザンチン時代の遺跡を見ることが出来るようになった。
 帰りは17時のフェリーで帰るので見学を切り上げフェリー乗り場迄歩きヤロヴァに戻る。
 夕食はJohnさん夫妻をCAVOK5に招待して、インゲンの胡麻和え、キュウリの浅漬け、五目寿司、鳥の照り焼き、そして日本酒と日本の味を味わってもらう。特に五目寿司、鳥の照り焼きは美味しいと人気があった。


(ID# 429)
2013/6/17 (月) Silvri~Yalova (53NM)快晴 無風~西5~10ノット

 今日もDestiny 号と一緒にヤロヴァに向かう。
 6:50にDestiny 号から舫いを解き出港する。 午後に北の風が強くなる予報なのでこの風は追い風になるので期待しての出港だった。
 途中でDestiny 号が追い付いてきてお互いの写真を撮りあう。
 時折吹く風に乗りながら機帆走で走るが昼過ぎから時折良い風になるのでセーリングを楽しんだ。
約Destiny号の一時間位の遅れで16時マリーナに入港する。直ぐマリーナのスタッフがラバーボートで誘導してくれ舫う。Destiny 号の舫いの場所が悪かったのと一緒の道中と云うことで後からCAVOK5の横に移動してきて隣同士になる。
Destiny号のデッキ上でのビールを飲みながら夕方を楽しむ。
夕食は悦子と二人で艇の舫ってある前のレストランで、赤ワインでお店特製のケバブとラムチャップを食べるが今までで一番おいしいケバブであった。後で知ったがここのケバブは美味しい評判の店だった。


(ID# 428)
2013/6/16 (日) Murefte~Silvri(51NM)晴れ 無風後西の風5~10ノット

 ムレフテェとシリウリはイスタンブールに行くための中継基地として寄港している。
 丁度50NM置きにあるので丁度良い。
 今日はDestiny号と7時に一緒に出ることにしてあった。先にDestiny号が出港して我々が続く。巡航速度が我々の機走の速度と同じ6.5ノットぐらいなので約1NMぐらいの距離を置いて進んだ。
 風が弱く全行程機走するが後半西の風が10ノット吹き出し機帆走で7ノット出た。
 シリウリの港は漁港で大きな作業船と漁船でほぼ占められていたが先に入港したDestiny号が空いた場所を見つけ岸壁に横付けしていた。15:15他に係留場所が無いのでDestiny号に横抱きする。
 John 夫妻と町に出て港の周りのレストランを探す。魚主体のレストランが港を囲むように並んでいる。木陰の店でチャイを飲んで引き上げる。
 大変賑やかな漁港の町だ。
 夕食はDestiny号で一杯ご馳走になってから4人で港の周りのフィッシュ・レストランを物色するがどうもこのレストランの並んでいる区域は、お酒は出してはいけないようでどの店もアルコールが無いとの事で諦め、直ぐ近くの別の並びのレストランに入る。
 魚を見て注文したがオラーダ(鯛の一種)と鯵のグリル、カラマリもフライを食べたが新鮮で大変美味しかった。やはり魚は高くその他にサラダ、白ワインボトルを頼んで230TL(11500円)した。此方の食生活では高いクラスだがそれなりに美味しかった。


(ID# 427)
2013/6/15 (土) Canakkale~Murefte(51NM)晴れ後曇り雨(雷雲)

 ダーダネルス海峡の向潮が強いのでMurefteまで51NMだがプラス10NMして61NMのつもりで行く。途中潮が強く進まないときはCanakkaleから20NM先にあるLapsekiに目的地を変更するという打ち合わせをDestiny号として行く。
 朝5:30に舫いを解き静かな海面を機走する。
 向潮を避けて岸近くを機走するがチャナッカレ付近の岸側は1.5ノットほどの反流があり8ノットでる。しかし長くは反流が続かず向潮になるが一部強いところで2.5ノットほどあったが概ね1ノット強の向潮で済んだ。
 風は弱く全行程機走と機帆走になるが静かな海峡のヨーロッパ側を走るがゲリポリの町を除いては大農園が丘陵に広がり所々に村があり牧歌的な景色が広がっていた。
 ゲリポリは第一次世界大戦でトルコの英雄アタチュルク率いるトルコ軍が英仏連合軍を撃退したところだ。
 ムレフテェは電子チャートに載ってなく又パイロットブックも詳細が不備で適格の情報はなかったが東地中海ラリーでの寄港地になっているのとチャナッカレでの情報があったので心配はしていなかった。  港に入ると係留場所が不明でゆっくり探しているとハーバー管理人が来て指示してくれ舫いを取ってくれる。
 暫くして後から出たDestiny 号が到着する。
 町から離れた何もない殺風景なハーバーで単に東西に行く艇の中継点の役割をはたしているようだ。
 一応電気、水道があり一泊40TLでそれなりの値段であった。
 ついて暫くすると入道雲の端っこが通過して雨が降る。早めの出港は正解であった。
 町がここから15分くらいのところにあり、歩いて行ってみる。途中海水浴場があったが水があまりきれいでなく、海岸も砂利であった。途中別荘地みたいな建物があったりしてイスタンブールの保養地と云う感じだった。
 葡萄酒の生産地で赤ワインが美味しいと云うことなので4本ほど購入する。
 トルコに来てサクランボがあちこちで売っている。食べると甘くて身がしっかりしていて美味しい。今日も買って帰る。帰りはワインがあるのでタクシーで帰るが7TL(350円)だった。
 夕食は持ち寄りにしてDestiny号でご馳走になる。
 悦子は牛コロステーキとチャーハンをこしらえて持っていく。Destinyでは奥さんのEvaさんが前菜とズッキーニのトマト風料理を用意してくれた。
 Destiny 号はCAVOK5と同じ14Mだがトロラー型モータークルーザーなので中が広く木工も綺麗で良くできている。何とメイドイン中国だそうだ。


(ID# 426)
2013/6/14 (金) Canakkale 晴れ時々曇り

 大気が安定してないせいか、今日も積乱雲が発生している。
 今日3艇とも出港を予定していたが皆さん取りやめにしたようだ。積乱雲が気になる。
 午前中John夫妻と買い物に出かけお昼に牛のケバブいりサンドウイッチを食べる。
 マリナーに戻ってからDestiny号でコーヒーとお菓子をご馳走になり明日からの計画について話す。彼とはイスタンブール迄一緒なので風と潮を考えながら寄港地を決める。
 結果ここから53NM先のMurefteに向かうことにするがダーダネルス海峡をまだ20NM走るので海流が強く時間がかかる場合は途中のLepsekiに寄港することにした。
 我々は朝早く出るので彼らとはVHFもしくは携帯のSMSで連絡を取ることにする。
 夕方コックピットでグラスを傾けていると昨日入ってきたニュージーランドから来たと云う45ftのカタマランの人が声を掛けてきた。同じ方向のイスタンブールに行く云うことで我々の知った情報を交換する。
 特にイスタンブール周辺には沢山マリーナがあり係留料も大分違うので長期に係留する場合はマリーナ選びが大事だ。我々も一番高いイスタンブールに近いマリーナには長い事係留せず、イスタンブールにフェリーで行けるマリーナを選択している。
 同じ方向なので再会するのが楽しみだ。
 明日は5時半出港予定なので夕食は簡単にスパゲティーポモドーロを頂き早く就寝する。


(ID# 425)
2013/6/13 (木) Canakkale 晴れ時々曇り、雨

 午前中Johnに誘われて、イギリス船籍の3艇のモータークルーザーのキャプテン達と一緒に自動車の修理工場を中心にした店が沢山並んでいる工場団地に行く。
 特別必要なものはなかったが折角の機会なので行く。下町の小さな工場が多かったが機械に関するものはすべて揃うようなところだった。Johnは造水機の小さな部品を探していたが同じものが見つかった。
 Johnの奥さんと悦子は町に買い物出かけていた。悦子はベットマット敷きとベットカバーを見つけてきた。今まで大きなサイズのベットマット敷きが見つからなかったがやっと探したという感じだ。
 夜、John夫妻を夕食に招待していたが工業団地に行ったMARANKA号のTony、Margot夫妻、AMIDA号Michael,Cynthia夫妻も一緒に招待して大宴会になる。
 悦子の料理は4人前のつもりで作ったのだが8人でビール、ワインを飲みながら夜中の2時過ぎまで盛り上がる。料理はペッパーのタパス、グリークサラダ、ムサカ、ガーリックライス、そしてデザートにトルコのお菓子バクラバ、サクランボを頂く。
 MARANKA号とAMIDA号はイスタンブールから南下している艇なのでイスタンブールのマリーナ情報をいろいろ教えてもらう。
 イスタンブールのバス、フェリーのパスカードを頂いたりした。皆さん大変親切で、Margotさんは日本人に英語を教えたこともあり日本にも来たことがあるそうだ。
 国に関係ないお付き合いが出来るのもこのヨット航海の大きな楽しみの一つだ。


(ID# 424)
2013/6/12 (水) Canakkale 曇り時々雨

 昨日マリーナのスタッフにトロイ遺跡の行き方を聞いたら送ってあげるということでお願いしてあったが、ここから10km位のところにあるトロイ遺跡まで往復70€だということで断る。バスで行けば5TL(トルコリラ)250円だ。
 隣に入ったDestiny号のJohn,Eva夫妻と一緒にトロイ遺跡を見学にバスで行く。
 トロイ遺跡は小学校でシューリマンの話と共に親しみのある場所であったので楽しみにしていた。世界遺産になっているがギリシャ、ローマ遺跡と違い容としては残っていない。
 もちろん紀元前3000年前からの古いトロイの遺跡なので当然だ。
 トロイの木馬の再現が入り口に飾ってあった。ただ遺跡があるという感じだった。
 チャナッカレの町に戻りJohn夫妻と一緒に食事をするがお惣菜さん屋さんみたいなお店で鳥のケバブ、トマトで煮込んだ野菜を食べるがスパイシーな味で美味しい。4人で何と20TL、庶民は安く生活できるようになっている。
 マリーナに戻ってDestiny号の上でケーキとコーヒーをご馳走になる。彼はドラゴンも持っていて、大型クラッシク・ヨットでも楽しんでいたそうだ。
 ダーダネルス海峡の狭いところを、これからも通過しなくていけないのでイスタンブールへのアプローチの仕方を話す。向潮が3ノット、そして風は暫く北東の強風が続くので思案のしどころだ。
 夕食は鳥腿肉のシチュー、サラダをボジカーダ産白ワインで頂くがジャガイモと鳥腿肉のシチューは良い味が出ていた。


(ID# 423)
2013/6/11 (火) Bozcaada~Canakkale(26NM)晴れ 東から北東5~10ノット

 朝方から艇が揺れるようになってきた。風が東になりこの港は東に開いているので波が入ってきてその影響だ。
 隣のモータークルザーと8時ぐらいに出ようと云っていたが艇の揺れが良くないので我々は6:50に舫いを解く。舫いを解いて出るとき両隣の大型モーターボートのムアリングラインが伸びていて横風を受けて出るのにそのムアリングラインが邪魔になり苦労する。
 予定通り東の順風で当初は気持ちよく走るが1時間しないうちに風が弱まり機走にする。
 その後風が出てきたが北北東に回り真登りになりセーリングを諦める。
 ダーダネルス海峡は常に東から西に向かう(海峡の出口に向かう)潮が強く、海峡が狭まったところでは4ノット近い潮があった。出来るだけアジア側の岸よりを走るが近づくと浅いところがあり時々ヒヤリとする場面もあった。
 海峡の狭いところでは対地速度3ノットぐらいまで落ちてしまった。
 向かい風だが弱い風で水面も穏やかで潮以外は問題なく海峡のエントリーを通過出来た。
 本船が多くアジア側が入る方の通路になっているので我々の脇を通過していく。彼らも岸よりを通り我々を抜いていくので、前方だけでなく後方への目も必要だった。
 チャナッカレのマリーナに入るとマリーナのスタッフが所定の場所を指示してくれ12:15にいつもの様にスターン着けする。
 あまり大きなマリーナでなくヨットは10隻も居なかった。
 小粒のマリーナであるが施設がしっかりしていて又警察もあり安心なマリーナだ。
 お昼は艇でサーモン・サンドウイッチをビールで頂き、早速町を歩くが、大きな賑やかな町で海辺の通りはレストランがずらりと並んでいた。
 暫くするとボズカーダで一緒になったフランス艇Destinyが入港してきたのでレイドラインを取ってあげる。
 トルコに入ると赤地に月が入る国旗が至る所ではためいている。
 スーパーマーケットと肉屋を見つけて食材を買って帰る。
 夕食はマリーナのスタッフに聞いたケバブが評判のレストランに行きミックスのケバブを食べるが何とお店にはアルコールが無く水で食べる。スパイスの効いた味付けで肉とピデ(パンの一種、ピザ生地に似ている)が合って美味しかった。ビールが欲しいところであった。
 ノンアルコールの店がトルコでは多いそうなので今後注意することにする。


(ID# 422)
2013/6/10 (月) Babakale~Bozcaada(21NM) 快晴 北北東 微風

 昨日までの北風も収まり静かな海面になる。午後から北風が吹いてヘッドウインドになるので、短い距離だが午前中の東風を使ってと思い、朝早く0550に舫いを解く。
 予定では東の風を受けてセーリング出来る予定であったが、生憎と微風で、機走で全行程21NMを行く。  ボズカーダは、パイロットブックにはアンカーを打って槍着けと書いてあったがレイドラインがあり港のスタッフが舫いを取ってくれた。
 0950の早い到着になったが、先ずはビールで乾杯してから港町に出かける。
 この島はワインの産地として有名だそうなのでワイン屋を探して赤白それぞれ3本ずつ購入する。ついでに水も買って艇まで車で運んでもらう。
 小さな島の小さな港町だがしゃれたレストランやお店があり観光客でにぎわうリゾートアイランドの様だ。
 お昼は木陰のあるレストランで鳥のケバブーのサンドウイッチを食べるが中身のみならずパンも美味しかった。
 昼寝の後岸壁に椅子を並べてあるお店でトルコーヒーを飲みながらゆっくりする。
 港の中の海も下まで綺麗に透き通っている。 店の前が泳げるようになっていて子供たちが泳いでいたので、私も早速泳ぐ。
 お天気の関係で明日ここを出港するが、もう少しゆっくり過ごしたい島だ。
 モータークルザーで来たフランス人とイギリス人夫婦が、北から来たかと聞いてきた。彼らもこれからイスタンブールに向かうので北の情報が欲しかったようだ。我々もイスタンブールに行く旨伝えたら、彼らも明日Canakkaleに行く予定ということで一緒の行動になった。


(ID# 421)
2013/6/9 (日) Babakale 快晴

 今日も北の風が20ノット近く吹くのでバッバカレでもう一日停泊することにしてのんびり過ごすことにする。   朝食を昨晩食べたレストランで食べるがオムレツ、チーズ、サラダそして数種類のパン、4種類のジャムがあり、美味しいトルコのパンと共に朝食を楽しんだ。  ここのレストランで9時ごろから11時過ぎまでパソコンをしたりチャイやトルココーヒーを飲んだりして過ごす。
 お昼は艇でパスタを頂き、昼寝した後ひと泳ぎして体を冷やす。
 昨日は40TL係留料の集金に来たが、日曜日なのか今日は集金に来なかった。
 夜は同じレストランで夕日を見ながら食事を楽しむ。プチホテルの家族経営で感じの良い方々で美味しい食事と雰囲気を楽しめた。又食事に来たいレストランだ。


(ID# 420)
2013/6/8 (土) Ayvalik~Babakale(31NM)快晴 微風~北北西12~20ノット

 平田夫妻が下船され、今日から暫く悦子と二人の航海になる。
 今日も天気が良く08:10にバッバカレに向け出港する。細い“松の廊下”の水路を通過して微風の横風を受けながら機帆走する。
 バッバカレの手前から北西の良い風が吹き出した、この分ではこの風に乗ってバッバカレから20NM先の次の寄港地Bozcaadaまで行けると思い、バッバカレを越えて岬を廻ろうとしたら風は北北西に変わり風速も15~20ノット近くになり波も出てきてピッチングもするようになりコースも上り一杯になったので、ボズカーダは諦めて当初の目的地バッバカレに変針して13:50入港する。
 ここバッバカレは小さな漁村でパイロットブックに詳しく載ってなかったので係留が心配であったが、港に入り係留場所を探しているとパイロットブックには載ってなかった岸壁の上で、ここに来いと人が合図してくれたのでそこにアロングサイドで舫う。風も強かったので舫いも取ってもらい助かる。
 お礼を言ったら港から直ぐの丘の上のホテルの人でホテルのレストランの名刺をくれたので夕食に行く旨約束をする。
 地元のヨットが漁船だまりに2隻係留しているだけで外来艇は我々だけであったが昼寝している間にイギリス艇が前に係留していた。
 マリーナの横に小さな海水浴場があり久しぶりに泳いでシャワーを浴びる。
 漁港で12歳ぐらいの可愛い少年が一人で炎天下のコンクリートの岸壁の上で立ったまま一人で黙々と漁網の整理をしていた。最初気が付いたのが15時ごろであったが夕方19時30分ごろまで同じ姿勢で黙々と作業をしていた。非常に印象的であった。
 夕食は名刺をもらったレストラン“Denizhan”に行く。丘の上のホテルの屋上にあり眺望が素晴らしい。
 注文した前菜の盛り合わせは6種類あり、茹でエビ、焼きナス、ヨーグルトサラダ、空豆、その他野菜をそれぞれ違う味付けで出してくれた。どれも日本人好みの味であった。
 グリーンサラダは我々の知らない緑の濃い野菜の盛り付け、イカのフライ、バルック・シシ(これはカジキマグロの切り身と野菜をケバフ風に串焼きにしたもの)を注文するがイカ、魚の鮮度と焼き方がとても良く美味しかった。
 ビール、ワイン、デザート入れて110TL(トルコリラ)そしてユーロでの金額も書いてあり45ユーロであった。
 港の上でCAVOK5と夕日を見ながら素敵な夕食であった。


(ID# 419)
2013/6/7 (金) Ayvalik 快晴

 12時にタクシーがポンツーンまで来てくれる。平田夫妻は約2時間30分かけてイズミールまで行き、そこから飛行機でイスタンブールに移動する。
 平田夫妻とは3週間一緒に楽しく過ごさせて頂いた。百合子さんは料理が上手で美味しい料理をご馳走してくれた。
 見送りしてから、我々はバスでペルガマに行く。1時間40分で到着する。バス停からインフォメーションセンターに行く途中で、タクシードライバーの呼び込みでアスクリピオン、アクロポリス、ベルガマ博物館を廻って3時間で80トルコリラでどうだというので75TLにまけさせタクシーで回ることにした。各場所がかなり離れているので効率よく見るのに好都合であった。「地球の歩き方」では相場70TL位と書いてあった。
ここはアレキサンダー大王が無くなった後、彼の重臣だったリシマコスによって受け継がれ、その後ベルガモン王国として栄えたところだ。アクロポリスは広大の丘の上に建てられトラヤヌス神殿には大理石の柱が15本残っている。又丘の上の急斜面を使った野外劇場は前方の景色が眼下に広がり素晴らしい見晴らし中にあった。
アスクレピオンは紀元前4世紀にハドリアヌス帝によって建設された古代の総合ヘルスセンターだが、ここにも野外劇場、石柱で囲まれた聖なる道の廊下とヘレニズム文化の集大成の遺跡を見ることが出来た。最後にベルガマ博物館で収納された“水の妖精像”を見るが今までと違ったテーマの像で傑作であった。建造物や彫刻を見るだけで当時の文化の高さを感じた。
お昼にベルガモで食べたケバブが美味しくお腹もすいていなかったので夕食は温麺と冷蔵庫の残り物で済ます。


(ID# 418)
2013/6/6 (木) Ayvalik 快晴

明日平田夫妻がイスタンブールに向けて出発するので一日のんびりすることにする。
平田夫妻はここから150㎞先にあるイズミール空港までタクシーで行くことにして交渉すると250TL(約13000円)と云う事なので頼むことにした。
アイワルクの町に出てみると港には観光用のガレット船がずらりと並んでいた。裏の路地はグランドバザール並みで小さな店が軒を並べ迷路のようにあちこちに広がっている。
奥さん達は大喜びで、お昼を食べてからも夕方迄買い物を楽しんでいた。
お昼にトルコ上陸してから初めての本場ケバブーを食べるがお肉が柔らかく美味しかった。
平田さんと私は床屋に行くが、なかなかの職人の床屋さんで久しぶりにさっぱりする。
あごの髭まで整髪しくれた。
昼のケバブーがこたえているので夕食は、タコとキュウリの酢もの、キャベツの浅漬け、野菜サラダ、ソーメンであっさり頂く。
ビール、ワイン、日本酒を飲みながら平田夫妻CAVOK5での最後の晩を楽しんで就寝する。


(ID# 415)
2013/6/5 (水) Lesvos~Ayvalik(Torkey)晴れ後一時雨 南の順風

 今日はギリシャを出国するのでオフィスのオープンと同時にマリーナの清算を済ませる。3泊で電気、水道代を入れて121ユーロだった。まだまだ新しいマリーナのせいか係留艇は少なくプロモーション価格で一泊は無料だった。
08:30に港の北側にあるカスタム用の岸壁に艇を移動させ出国手続きをする。その後ポリスでトラフィクドキュメントにもサインをもらい、09:35に出港する。
南の順風でクオーターに受けながら気持ち良い帆走をする。アイワルク湾の入り口は両サイド浅瀬で航路は大変狭くなっている。両サイドに障害灯が立っていてその間を抜けるが風がアビームで良い方向だったのでその間も帆走で抜ける。この水路は“松の廊下”と云うそうだ。
アイワルク湾に入ると遠くに雷鳴と時々雷光が光る積乱雲の千切れ雲が近づいてきて、雨がぱらぱらと降りだしたので急いでマリーナに入港する。
初めてのトルコのマリーナだが今までのユーロ圏のマリーナと同じ槍付の方法で変わることはなかった。結構係留艇が一杯で夏の係留が心配になるくらいだった。
マリーナで係留の手続きをしてからここのエージェントに入国とトルコの航海で必要になるトランジットドキュメントの手続きを依頼する。
そして昨年10月にParosで知り合ったTrismic号を見つける。前もってメールで連絡してあったがトルコでの再会はうれしかった。
夕方Trismic号のMike夫妻から夕食の招待を受けたので4人でお邪魔する。
前回もご馳走になった3種類あるカレーをご馳走してくれたが、手の込んだ味で美味しかった。お土産に大事にしていた八海山を差し上げる。
Trismic号は45ftのカタマランでコックピットは広くMikeさんのお父さん含めて7人で夕食を楽しんだ。
彼らはこれから我々と同じようにエーゲ海を北に進むがイスタンブールまで行かず途中チャナッカレで元来た道を戻るとの事であった。そして今年の冬には大西洋をカリブへと渡る計画だそうだ。
22時頃遅くなってもいけないので楽しい中お暇する。とても物静かで感じの良いご夫妻、ご家族である。


(ID# 414)
2013/6/4 (火) Lesvos 快晴

 今日はゆっくり艇で過ごすことにする。
 ジェネカーの開きが悪かったので調べたところブロックに布が詰まっていて滑車が回っていなかったのが原因だったのが分かりこの問題は解消できた。
 青空の下日陰を作りデッキでの昼寝は最高に気持ちが良い。
 レンタカーを今日も借りているので島の南側に海水浴場があるというので平田さんとドライブに行くが、残念ながらこれと云う景色は見ることは出来なかった。
 マリーナの入り口には2000万年前に火山の噴火によって炭素化された木が飾ってある。当時の火口は入り江になっている。
 一日何もすることない贅沢な時を過ごすことが出来た。
 夕食は鳥の水炊きの残りを使った雑炊を頂くが、素晴らしい味が出ていた。


(ID# 413)
2013/6/3 (月) Lesvos(Mitilini) 快晴

 朝8時にトラフィックドキュメントをマリーナオフィッスに取りに行く。
 場所によってトラフィックドキュメントのサインが必要だったり、そうでなかったり今一つ分かりずらい。
レスボス島は紀元前6世紀の女性詩人サッフォーの出身地として知られている。ギリシャでは3番目に大きな島で古代ギリシャの植民地、ビザンチン時代、オスマントルコの支配下を経て現代のギリシャになった。その時代の名残にミティリニの港の脇にある小高い丘の上にはビザンチン時代の立派な城塞が建っている。
 島の北にある漁港モリヴォス(Molivas)にも同じ時代の立派な城砦が町の丘の上に建っている。漁港は風光明媚なところでギリシャ特有の可愛い漁船と周りのタベルナがすごくマッチングしている光景だ。此処には国内外の芸術家が集まる場所でもある。
 漁港の脇のタベルナでそれぞれフレッシュカラマリのグリル、イワシの重ね焼き、エビのグリル、ポークチョップを食べる。魚介類の味付けはどの店もほぼ同じであるが素材が新鮮で美味しい。
 ここに来る途中でオリーブ博物館に寄るが昔の時代からのオリーブ油を搾りだす道具が展示してあり、建物は機械を蒸気機関で動かすシステムの時代のもので大変興味深かった。  艇に戻って夕方9時近くまで空が明るい中デッキで素麺の夕食を頂き、ウイスキーを飲みながら夕刻を過ごす。


(ID# 412)
2013/6/2 (日) Khios~Lesvos(52NM)曇り、時折小雨後晴れ

 今日の天気予報は午前中小雨がぱらつく予報が出ていたので朝の天候を見てから出港を決めることにしていたが雲も厚くなく雨も降ってなかったので6:30に出港する。
 気まぐれな風とお天気で途中追手の15~20ノットの風を受けて7ノットで快調にセーリングしたり向風になって機走したりお天気も雨から晴れまであり変化のある中での航海であった。
 Lesvosではオールドハーバーに入る予定であったが、建設された新マリーナが最後の仕上げを待っているとパイロットブックに書いてあったので覗いてみると営業していたのでここMitilini Marinaに係留することにして15:40に横付けで係留する。オッフィスもシャワーも水、電気もあり良いマリーナでオールドハーバーより良かった。
 ここのところ砂漠の砂を運んでくる南風で洗っても洗ってもデッキが土で汚れてしまうので今日も早速デッキを洗う。
 町から離れているのでマリーナの前のタベルナでドルマデス(米、ひき肉、みじん切りの野菜をブドウの葉っぱ包んだ料理)を前菜にしてグリークサラダ、それぞれケバブー、スブラキ、鳥のヒレのグリル、ラムチョップを食べる。素材が良いせいかどこで食べても美味しい。
 帰りに久しぶりのお湯たっぷりのマリーナのシャワーを浴びる。


(ID# 411)
2013/6/1 (土) Khios 晴れ

 マリーナから少し離れたヒオスのオールドポートの隣は中世の要塞が昔の厳しい時代の面影を残している。
ヒオス島はビザンチン時代に建てられた世界遺産にも登録されているネア・モニ修道院がある。11世紀にコンスタンティノス9世によって建立された。人里離れた海を見渡せる丘の上にあり聖堂の中は見事なモザイク画で飾られている。又ここはオスマントルコの攻撃を受け虐殺された遺骨が礼拝堂に収められていた。
そこから暫く山道を行くとアナヴェストの村がある。16世紀に造られた村だが現在は廃墟になっているが厳しい崖の上に建てられていたが防御のためにこのような地勢を選んだのかと思う。
アナヴェストの近くの村のレストランで山羊の丸焼きをしていて美味しそうだったのでそのレストランで山羊の丸焼きを食べる。ラムよりあっさりした味で4人で突っつきあって食べたが美味しかった。
このレストランで、ネア・モニ修道院で会った在イスタンブールの日本人の女性と又出会う。ご主人は英国人で、お二人で旅行中との事だった。とっても感じの良い方で連絡先を頂く。
その後島の南にあるビルギ(Pyrgi)の村を訪ねる。ヒオスには世界に唯一マスティハの木が植生しているところでこの村もマスティハ栽培を生業としている。
マスティハの樹液は漢方の役割もあり、色々なところに使われている。
又村の家々の壁は白と灰色で彩られた幾何学模様で飾られ箱庭みたいに綺麗だが起源はビィザンチンの時代からだそうだ。
 夕食は昨日の残りのアナゴを使ったアナゴの蒸し寿司を頂く。


(ID# 410)
2013/5/31 (金) Samos~Khios(67NM)快晴 南順風

 今日の行程は67NMあるので夜明けと同時の6時に出港する。先日からの南風はまだ続いておりほぼこの南風に乗って快調なセーリングをする。
 朝ご飯はおにぎりと味噌汁を帆走しながら頂く。
 港を出て直ぐトルコとギリシャの間が2㎞しか離れていない海峡を通過する。トルコとギリシャの旗を両サイドの土地に同時に見ることが出来た。ヨーロッパではこのような場所は、必ず国旗を揚げて国を表している。
 ほぼ南風が順調に吹き続けたが途中2回ほど島の影響で微風になったりしたが時折30ノット近くの風になり3ポイントリーフにしたりしながら6~8ノットの速度で若干の波に揺られながら気持ち良いセーリングをした。
 百合子さんと悦子は殆どキャビンの中で休んでいていたが、お昼になるとサンドウイッチを作ってくれビールで頂くが、これまた空いたお腹に美味しかった。
 通常も彼女たちは航海中、殆どキャビンの中で過ごしている。
 17時に入り口が狭いKhios Marinaにパイロットブックの注意に従って防波堤寄りによって用心して入港する。
 このマリーナは現在経営していなく港とポンツーンがあるだけで施設は何もない。ギリシャには現経済状況を表しているのかこのようなマリーナが点在している。一番要の防波堤、ポンツーン迄出来ているのに残念だ。
 10艇程の艇が岸壁再度に横付けしているので我々も空いている場所を探して横付けをする。先着の艇の方が舫いを取ってくれる。
 この周辺には何もないのでレンタカー屋の広告を見て電話して来てもらう。
 レンタカーでキオスの町まで食料の買い物含めて偵察に出かける。
 夕食は昨日捕ったアナゴを蒸してからフライパンでタレを浸けながら炒めて蒲焼風に料理して頂いたがアナゴは身が厚く美味しかった。カサゴは煮つけにして頂いた。
 平田さんはウゾ、私はウイスキーの水割りをナイトキャップに飲んで早めに就寝する。


(ID# 409)
2013/5/30 (木) Samos 快晴

 昨日までの強風も収まり穏やかな天気になる。
 今まで溜まった洗濯物を早朝コインランドリーで洗濯する。ゆっくりした朝食をコックピットで食べた後、 昨日寄れなかった“ピタゴリオの考古博物館”“エフパリノスのトンネル”パナイア・スピリアニス修道院を廻る。
 エフパリノスのトンネルは紀元前6世紀にピタゴリオの町に水を供給するためのトンネルで1350mのトンネルを数十センチの誤差しかなく造ったという技術の高さに驚く。
 帰りに肉屋でラムの胸肉を仕入れる。
 早めにマリーナに戻り心地良い南風を浴びながらビールを飲む。
 午後はそれぞれゆっくりした時間を過ごす。
 航海灯の右舷ライトが点灯しなかったので新しい航海灯に替える。
 昨日から仕掛け籠を垂らしていたが上げてみるとカサゴ一尾と大きなアナゴが籠の中に入っていた。早速さばいて冷蔵庫に入れて明日の食材にする。
 夕食はラムの胸肉をニンニク醤油で漬け込んでそれをグリルして頂く。大変おいしかった。明日は6時出港予定なので23時にお開きにして休む。


(ID# 408)
2013/5/29 (水) Samos 晴れ 南の強風

 今日はメルテミ(エーゲ海の季節風で夏の北からの強風)と反対の気圧配置になり南風40ノット以上の予報が出ている。
 朝10時前に約束通りマリーナのメカニックがクラッチのオイル交換に来る。
 クラッチの修理で中身が新品になり、早い時期に純正のヤンマーオイルでクラッチオイルの交換をするようクレタで指示を受けていた。しかし純正オイルが手に入らずここサモスにクレタの方から注文をお願いしてあった。幸いにここに届いてありメカニックもヤンマーの教育を受けているということで安心した。このオイル交換で一連のクラッチ故障事件は完結した。クレタのメカニックのGeorgeさんは完結するまでフォローしてくれ感謝する。
 サモスも先史時代からの歴史があり“ヘラの神殿”は世界遺産であり、現在でも巨大な大理石の柱と無数の建物の跡が残っている。ヘラはゼウスの姉であり、妻であり嫉妬深いとされているが一方主婦と家庭生活の守り神であった。
 ヘラの神殿には複製の像が置いてあったが本物はサモスタウンの考古学博物館にあるということで行く。圧巻はクーロス像で高さ5.5mの像がほぼ完全なまま発掘されており見事な青年像であった。必見の価値のある紀元前6世紀に制作されたクーロス像であった。
 その他ゲネレオス・グループの像や先史時代からの遺跡の展示物があり当時の文化の高さを感じた。
 ドライブしているといたるところに遺跡がありアフロディーテ神殿等野ざらしにしてあった。
 奥さん達をピタゴリアの町で降ろして、平田さんと私は艇に戻る。女性陣は買い物が好きだ。
 ピタゴリアにも港があり10数隻のヨットが停泊していたが南の強風で波も入り上下に大分揺れていた。静かなサモス・マリーナに入って正解であった。荒れる予報の時はその風に対して安全なシェルターになるマリーナに停泊して天気の回復を待つことにしている。
 お昼はマリーナのバーでサンドウイッチをビールで食べる。
 夕食は百合子さんがイワシの酢漬けを寿司飯に載せた和風料理を作ってくれ頂く。お昼が遅かったのと今までリッチな食事をしていたので胃に優しい食事を頂いた。


(ID# 407)
2013/5/28 (火) Patmos~Samos(30NM)快晴後晴れ 微風

 朝7時50分に頼んであったタクシーで紀元一世紀末に聖ヨハネがローマ人に追放され流刑されて、生活していた洞窟に行く。スカラの湾を見渡せる山の中腹の険しい場所に掘られた洞窟であり、ここで天啓を受け、聖書の黙示録を書いたと云われている。
 次に1088年に聖ヨハネを記念して建てられたという聖ヨハネ修道院に行く。丘の上に建てられ修道院内のフレスコ画は見事であった。2つとも世界遺産に登録されている。
 10時前に艇に戻り10時丁度にアンカーを上げて出航する。今日は穏やかな海面で湖の様だが風が無い。
 2隻ほど滞在していた大型客船の一隻が同時に出港した。人気のある場所の様だ。
 実はもう1日滞在したかったが明日が強風の予報なので今日中にマリーナのあるサモス島に移動することにした。
 風のない中エーゲ海の島々を全方向に見ながら機走で進む。
 サモスはトルコに一番近いところで2㎞なのでトルコ本土も良く見えた。
 16:30にSamos Marinaに入港する。ここはアンカーを打たずにレイドラインを掴んで係留する。親切なマリーナスタッフを手伝ってくれる。
 明日は強風になるのでしっかり舫いを取る。
 久しぶりに陸の上のシャワーを浴びる。
 マリーナは町から離れて不便なところなのでレンタカーをマリーナオフィスで頼む。
 係留料も今までと違い高くなり1日62ユーロだった。
 19時にレンタカーが届きピタゴリオの町に食事に行く。ピタゴリオの町は賑やかで港には15隻近いヨットが係留していた。
 美味しそうなレストラン(タベルナではない)に入り、ムサカ、イカのグリル、ラムチャップ、ラムのスブラキ、ズッキーニのフライを食べる。
 それぞれ美味しかったがお腹一杯になり、艇に戻ってすぐお休みする。


(ID# 406)

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