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2013/4/26 (金) Sitia~Ayios Nikolaos(50NM)快晴 WWN12~18ノット
今日は50nm先のIraklion迄行く予定で8時に出港する。風の予報が北だったが、西の風が吹き完全な向かい風になったので機走する。昨日より風が弱く助かるが真向いには参る。
35nmほど走ってニコラウスを過ぎた時に突然エンジンの回転が2200回転から1500回転に落ちた。浮遊物が浮いていたのでこれがプロペラに絡まったかと思い、バックに入れてから再度前進させたが4ノット以上の速度が出ずプロペラの不具合の可能性もあるので風上のイラクリオンを諦めて12時30分に風下のニコラウス港に寄港することにする。 ニコラウス港はマリーナもあり整備、上架もできるので安心だ。そしてここは冬の越冬を昨年する予定であったが一杯ということで断られたところだ故障の原因が分からないのでエンジンが使えずセーリングだけで行くが、途中までは良い風だったが半島の中に入ってから風が止まり約12nmの距離を5時間かかり17時25分に入港する。
入港後早速潜ってプロペラを見るがまったく異常が無い。ということはクラッチが滑っている可能性もあるのでメカニックにみてもらうことにする。偶々前に舫ってある艇が整備中でメカニックが居たので直ぐお願いする。明日午前中に見てくれるということで安心する。
夕食は近くの湖の脇にレストランが沢山あるということでそこで食べることにする。
立ち並ぶレストランの選択は難しいが日本に行ったことがあるという元船員が呼び込みをしている店に入る。
クレタ島名物のカタツムリとそしてクレタ風味揚げ餃子も名物なのだが見つからず似たような揚げミートボール、そしてラムのグリルとグリークサラダを地元ハウス赤ワインで食べる。
ここの小さな池みたいな湖は汽水湖だそうだが大変深くそしてサントーリ島と繋がっていると自慢げに説明してくれた。
(ID# 374) |
2013/4/25 (木) Karpatoth~Sitia(68NM) 快晴 NW25~30
今日も距離が長いので早く06時15分に出港する。
当初の予定では25NM先のKasosに寄港する予定であったがクレタに早く行くことにしてKasosを飛ばしてクレタ島の東側にあるSitia港に向かう。
Kasosを過ぎてから風が強まり時折30ノットを超える風になりジブ、メインとも3ポイントリーフそしてエンジンもかけてのぼり一杯のレグを40NM走る。久しぶりに波もかぶりCAVOKⅤにとってはハードなセーリングであった。
お昼はリンゴだけにして17時30分に入港してから濡れたものを干す。3艇程岸壁に横付けしていたが我々の艇も横付け出来た。タクシーのドライバーがわざわざ車から降りて舫いを取ってくれた。
前方キャビンの空気取り入れ口から海水が入り布団が濡れてしまった。
疲れもあり夜は昨日のカレーをうどんに入れて頂き、艇のシャワーを浴びて早く就寝する。
(ID# 373) |
2013/4/24 (水) Lindos~Karpatoth (58NM) 快晴 N10~20ノット
今日は58NM走るので朝06時15分日の出15分前に出航する。
夜間の入港はしないことにしているが出港に関しては暗いうちに出港することがある。
これは地形が入港時に分かっているので安全に心配なく出港できるからだ。
出港して2時間ほどしてからアビームからの15~20ノット良い風が吹き出して7ノット平均の速度が続く。
地中海の風は強風時以外は気まぐれで昼過ぎにはこの風も凪になり機走で15時15分にカルパトス港に入港する。
埠頭に横付けしようとするとドイツ人が2人駆けつけてきてくれて舫いを取ってくれる。
そのうちの一人のGeraldさんは実に5回目の出会いでポルトガル、スペイン、シシリーそして今日と素晴らしい偶然の出会いだった。彼らの止めてある場所が違う場所であったので、片づけた後彼らの船にお邪魔してワインを頂く。
夕食はカレーライスをラッキョウで頂く。
(ID# 372) |
2013/4/23 (火) Rhodes(Mandraki~Lindos)快晴 V2~5ノット
朝食を食べた後08:25に舫いを解き出航する。昨日までの風が収まり弱い風で帆走だけでは3~4ノットしか出ないので機帆走にする。エーゲ海は吹くときと吹かないときがかなりはっきりしている。
ロードス島の東側を25NMほど走り13:00丁度にリンドスの湾の真ん中に底地に海藻が無い場所を探して水深9mのところにアンカーを打つ。まだシーズン前なのか我々だけの錨泊になる。
丘の上にはアクロポリスが聳え丘のすそ野に白い家が段々畑の様に並んで建ってきれいだ。
ギリシャの島々では良くある建て方だ。この町も歴史が古く紀元前8~6世紀にかけて地中海の交易港で栄え、そして東ローマ帝国の時代に強固な城壁が造られている。
上田さんと悦子をテンダーで陸まで送り私は艇に戻り留守番をする。
静かな湾で心地よい日差しを浴びながら午後のひと時を過ごす。彼女たちがアクロポリスの見学から帰った後次に私が上陸して散策する。エーゲ海をバックに野花が咲き乱れ綺麗な光景だ。海水浴場では日光浴だけでなく泳いでいる。
湖のような静かな入り江で艇から見るアクロポリス、又白い街並みが綺麗なので夕食は岸辺のレストランからテイクアウエイして艇から景色を見ながら食べることにする。
カラマリのフライ、エビのグリル、フライドポテトを注文してテンダーで運んで夕暮れの色の変化を楽しみながら食べる。シンプルな料理だが味付けが良く美味しかった。
食後は音楽を聴きながら10時過ぎまでコックピットでおしゃべりをして眠りにつく。
(ID# 370) |
2013/4/22 (月) Rhodes 快晴
予定では今日25NM先のロードス島の南にあるLindosに行く予定であったがまだ風が若干強い予報だったので明日行くことに変更する。
ここではシミ島のハーバーポリスに云われたTaxを土日払えなかったので今日朝払いに税務署に行く。税務署は新マリーナの近くあるが新マリーナはギリシャの経済を表すよう工事途中で中断してあり、開業予定は未定だそうだ。大きなマリーナで今のハーバーで係留場所がいっぱいの中早く開業して欲しいところだ。
洗濯物をランドリーに出して、昼前にバスで15分ほどにあるアクロポリスのあるスミス山に行く。野花が咲き乱れる中に立つアクロポリスとエーゲ海の色の対比が綺麗であった。
帰りは歩いて帰るが海岸線に出るとすでに海水浴客が居て泳いでいた。
帰ってから気持ちよく午睡をする。
シャワーを浴びた後一杯飲んだ後、夕食はドライカレー、わかめウドンを頂く。オードブルにロードスのフレッシュなサラミをロードスのビールで頂くが美味しかった。うどんとカレーが妙に合い美味しかった。
(ID# 369) |
2013/4/21 (日) Rhodes 快晴
天気予報を見ると、明日まで強めの北西風の予報なので明日の出航を伸ばして23日Lindosに向け出航することにする。
昨日旧市街地を観光したので新市街地を歩くが日曜日でお店が殆どと云うより全部しまっていた。海岸通りを散策してお店の開いている旧市街地をもう一度散策する。上田さん、悦子は地中海の雰囲気のある夏の薄いドレスを買っていた。
お昼は旧市街のタベルナで食べることにするが沢山あってどのお店が良いか分からないので地元の人がお客さんでいるタベルナに入る。
グリークサラダ、ステファード、ラムチョップとガーリックトーストを食べるが味付けが良く美味しかった。
いつもお昼が終わって艇に戻ると3時頃になるが途中上田さんと悦子は食材を購入して帰る。私は艇に戻り心地よい日差しを浴びながらデッキで転寝をする。
今晩はここで舫いを取ってくれたオーストラリア人Michiさんを艇に招いて居たので上田さんと悦子は五目ずしをはじめ日本食を用意してくれる。
Michiさんは今ヨットの運送業をやっているそうで、半年ロードス島でハーバーの仕事を手伝っている。
日本語と英語を交えたヨット談義をしながら日本食を彼も楽しんでくれた。
(ID# 368) |
2013/4/20 (土) Rhodes 快晴
今日は昨日下見した旧市街地を観光することにした。マンドラキのハーバーに近いリバティー門より城塞に囲まれた旧市街地に入るが、石垣にはアマポーラ等の野花が色鮮やかに咲いていた。 “春の花 兵どもが 夢のあと”というところか!! 早速騎士団長の館を見学して、騎士団通りを抜けて考古学博物館に行く。考古学博物館は騎士団の病院跡で建物自体も見こたえがある。博物館には新石器時代からヘレニズム時代まで海の交易で栄えた歴史の遺跡が展示されてある。アフロディ像はロードス島のビーナスといわれて名高い。
お昼は旧市街地のレストラン街でビールを飲みながら軽く食べる。
3時ごろ艇に戻ったが艇が西風で岸壁に近づいていたので、アンカーロープを引くがどうもアンカーの効きが良くないようだ。今一不安なので幸い隣にあったレイドラインが掴めたのでそのレイドラインを掴み増し舫いする。
夕食は日本からの食材で軽く日本酒を飲みながら頂く。偶の日本食はいつも日本食を食べている我々の体には必要のようだ。
(ID# 367) |
2013/4/19 (金) Simi~Rhodes(25NM)曇り後雨 南風10~15ノット
朝起きてCAVOKⅤの係留してある前のカフェでコーヒーを飲む。
隣に止めてあるオーストラリア艇の乗員にロードス島の係留について聞く。ロードス島にはプレジャーボート用のハーバーが一つしかなく、しかもそのMandraki港はチャーターヨットのベースでもあり大変混むところだ。一杯で断られる事が多いと聞いていたので心配していた。一昨日予約のメールを入れておいたのだが返事がなく心配だった。彼らに聞くと今の時期は心配なく係留できるとのこと、係留場所も教えてくれ安心する。
いつもの朝食のコーヒー、バナナ入りヨーグルトに蜂蜜とトーストを食べてから出航する。
昨日までの快晴でなく天気が変わり曇り空だ。曇り空のエーゲ海は海の色、建物の色も引き立たない。やはり青空の下がエーゲ海にぴったりだ。
08:50に舫いを解き、美しい景色のSimiの町を後にRhodes島に向かう。
暫く風も弱く2時間ほど機走、その後南からの10~15ノットの良い風が吹き出し4~6ノットの速度で気持ち良く帆走する。
マンドラキ港の堤防にはセント・ニコラウス要塞が丸い建物で堂々と建っており、港の入り口の両サイドには2頭のシカの像が我々を迎えてくれた。
今朝教えてもらった港の奥の東側の岸壁に行き空きを見つけて13:35に船首からアンカーを落して岸壁に舫おうとしたときにハーバースタッフが来てくれ舫いを取ってくれる。
今回の航海の係留地で一番心配していたところであったが無事係留できホッとする。
舫い取ってくれたハーバースタッフの人は日本語が喋れて驚いたが18年間広島に居たことのあるオーストラリア人であった。
丁度舫い終わったところで雨がぱらぱら降り始める。
お昼を食べてなかったのでラーメンをビールで頂く。
この後早速世界遺産の旧市街地を散策する。城壁のスケールの大きさに驚く。明日見学することにする。帰りスコールに合いカフェでカプチーノを飲みながらスコールをやり過ごす。
ハーバーにあるシャワーは太陽熱の利用で今日は天気が悪く温水は期待出来ないとのこと艇でシャワーを浴びる。
夕食はマトンのローストとキャベツ、ニンジン、キュウリの浅漬けサラダとポテトサラダを赤ワインで頂く。マトンはKosの肉屋のお薦めだけあって柔らかく適度な脂があり美味しかった。
(ID# 366) |
2013/4/18 (木) Kos~Simi(45NM ) 快晴 北 10~15ノット
朝起きると昨日までと打って違って風が弱まり、雲一つない快晴で絶好の航海日和になる。07:50に舫いを解きコスマリーナを出港する。
トルコのダチャのある半島を超えるまで南下して半島を越えてから東に進む経路であったので北からの時折20ノットを超える順風を受けて途中一時風が弱まり機走もしたが快調にSimi迄航海をする。
途中6艇程のヨットとすれ違う。シーズンの到来を感じる。
お昼はいつもの様にデッキテーブルを広げ、生ハム、トマト、チーズ、オニオンを挟んだサンドウイッチをビール、オニオンスープで頂く。
15:40にSimi島の入り江の奥にあるSim港に入る。ここにはマリーナはなく港であるがハーバーアテンダントなるものが舫いの場所を支持してくれる。港の北側の岸壁にアンカーを打ってスターン着けする。港内でも水深は深く20m弱あった。
大変きれいな港街で傾斜した土地にきれいなカラーの家が階段を作るように段々畑の様に並んでいる。
ギリシャでは場所によってヨットの管理対応が違っていて、今まではPleasure Craft Traffic Documentと云う通行許可書みたいなものが不要と云われていたのだがここにきて航行税みたいな税金をロードス島で払えということで手続きはハーバーポリスで行う。
次港ロードス島での手続きが若干残っているが、今まで懸案の事項でもあったのでこれを済まし却って安心した。
綺麗な街なので早速レンタカーを借りて丘の上からの眺望そして格好の錨地である島の反対側にあるPanormittis の入り江迄ドライブする。 山の頂から見る島々の鳥瞰図は夕暮れ時に相まって素晴らしい眺望であった。
20時前に艇に戻りレンタカーを返すがまだ明るい。
係留してある直ぐ前の今日オープンしたばかりというレストランでグリークサラダ、ムサカ、魚のグリルの盛り合わせを食べる。魚のグリルの盛り合わせは二人前であったが40ユーローの割には味が今一であった。
(ID# 365) |
2013/4/17 (水) Kos 晴れ
午前中昨日廻った遺跡を上田さんと一緒に観光する。上田さんは長旅にも疲れを見せず元気である。
KosはLerosと違い観光客も多くタベルナ、お土産屋さんも多い。まだシーズン前だがぼつぼつ観光客も来ているようでお店は殆ど開いていた。お昼はビールで喉を潤しながら鳥のスブラキ、ピッザ、グリークサラダを食べる。Kosはイタリアの植民地であったせいかイタリアン料理も美味しい。
食後山岳地帯に景色を見るためドライブするがドデカニス諸島は緑が多くキクラデス諸島とは大分趣が違う。途中オリーブの林、小麦畑、そして牛、ヤギ、羊の放牧、又野花が綺麗であった。
夕食は今までの残り物に上田さんが持参した筍の土佐煮を寿司飯で頂く。
(ID# 364) |
2013/4/16 (火) Kos 晴れ 北の強風
朝5時30分に起きてロンドン、アテネ経由で来る上田さんを空港に迎えに行くが、途中上田さんからメールが入りアテネからの便に乗り遅れ、夕方の次便になる連絡が入る。
引き返して午前中にKos townの近くにある医療の神アスクリピオスを祀った神殿跡を見に行く。小高い丘の上にあり、海峡を挟んで対岸にはトルコが近くに見える展望の良いところだ。アスクリピオス神は死者をも生き返らせる名医だったがこれが自然の秩序を乱す行為ということで最高神ゼウスに殺されたが、彼の医術を惜しんだゼウスがヘビつかい座にしたとされている。
Kos townでは聖ヨハネ騎士団の城を見学するが中にはローマ時代の遺跡が散乱しその間に野花がきれいに咲き誇って海の青と遺跡とできれいな風景であった。その後西遺跡、古代劇場Odeonを見て回る。
お昼は海沿いのタベルナでグリークサラダとスブラキをビールで食べる。グリークサラダは外食時必ず頼むが野菜が新鮮でとてもヘルシーで美味しい。
午後は艇でのんびりして、夕方海岸に寄りながら空港に17時20分着の上田さんを迎えに行く。
長時間の飛行機にもめげず元気な姿で現れホッとする。
早速荷解きをしてからシャワーを浴びて歓迎パーテーをする。
シャンペンで乾杯してオードブル エビのガーリックタパス、フェタ無しグリークサラダ、ブドウの葉でひき肉を包んだ地中海料理を頂く。上田さんは毎年ご一緒してくれ今年で4年目になり楽しい航海の大事な仲間だ。
(ID# 363) |
2013/4/15 (月) Kos 曇り 北の強風
天気予報通り北風が25ノット前後吹いている。午前中は艇内で書類の整理等をして過ごす。昼前にマリーナのミニスーパーマーケットに買い物に行く。お店の亭主は親切な親父さんであれこれ教えてくれる。コス・タウンの美味しいレストランを教えてくれたり、レンタカー会社との連絡も取ってくれた。
レストランは彼の御嬢さんの店だと云うタベルナを教えてもらう。お昼はそこで食べることにして市内見学を兼ねて行く。こじんまりしたこぎれいなタベルナでペンネの入ったギリシャサラダ、タコとジャガイモのサラダ、フェッタチーズのオーブン焼きをビールで食べる。
小さなプレートの盛り付けで量的にも適量で比較的あっさり味で味も良かった。
帰りに古代アゴラ遺跡を覗く。残念ながらカサ・ローマナは修復中で5月まで閉館であった。
艇に戻りゆっくり過ごして6時にマリーナオフィスでレンタカーを受け取り明朝到着の上田さんの迎えに備える。
明るい内にシャワーを浴びて夕食は8時過ぎよりポトフを白ワインで頂く。
(ID# 362) |
2013/4/14 (日) Leros~Kos(30NM) 晴れ ヴァリアブル2~6ノット
08:40快晴の穏やかな天候の中出航する。隣の島カリムロス島との海峡を抜けてトルコ側に出るがトルコが目と鼻の先にある。イスタンブールからの南下するとき寄港予定のトルコのTurgutreisのマリーナのマストが見える。
風が微風で方向も定まらず機走で走っていたが途中アビームからの良い風が吹き出したのでセーリングを楽しむ。この風も1時間少々で止んでしまった。
Kos島のコマーシャルハーバーを横目でみながらKos Marina に入港する。前日予約してあったが、無線で連絡したところラバーボートでスタッフが迎えに来てくれポンツーンまで案内してくれた。
施設の整った良いマリーナだ。14:00に舫った後、いつものように手続きをした後、悦子とコックピットで乾杯する。
サマータイムのせいで夕方8時ごろまで明るいので助かる。
この島も歴史が深く紀元前11世紀にドーリア人が住みだしその後ギリシャ、東ローマ帝国、ヴェネチア、聖ヨハネ騎士団、オスマントルコ、イタリア、ドイツ、イギリスそしてギリシャと転々と支配者が変わったところだ。又紀元前460年には医学の父と云われるヒポクラテスが誕生したところでも有名である。
歩いて海岸沿いを中心街まで行く。聖ヨハネ騎士団が築いた城塞を一回りしてヒポクラテスが医学を説いたといわれるヒポクラテスの木を見てから戻る。
マリーナはチャターヨットが結構多く置いてありこの時期もうチャーターしているグループもいた。
シャワーを浴びた後チーズを挟んだ鶏肉のグリルとラタトーユを白ワインで頂く。
東から西の時差の影響は殆どなく毎日気持ちよく眠りにつく。
(ID# 361) |
2013/4/13 (土) Leros 快晴
連日好天が続く。半年の汚れを取るため再度デッキ洗いをする。洗濯もついでにする。
艇と陸への橋渡しのギャングウエイ(梯子)が今までの方式では手間がかかり過ぎ大変なので、新たな方式のシステムを考え、昨日発注したが予定通り今日出来上がってきた。
あれこれ艇の作業をしていると時間があっという間に過ぎていく。早い一日が過ぎた夕暮れ時にマリーナのレストランでビールを飲みながら刻々と変化する夕暮れの景色を楽しむ。
明日長い間お世話になったレロスマリーナを出港するので細かい清算をしてレンタカーのキーをフロントに預け出航準備が整う。
夕食は明日からの航海に備えてビースステーキを頂く。肉屋でヒレがあるかと聞くがほとんどの肉屋にヒレは置いていない。ステーキ用の肉を買ってきたが筋が多かったが味は良かった。
(ID# 360) |
2013/4/12 (金) Leros 快晴
目を覚ましハッチから見る空は今日もBlue skyであった。
昨日まで水で濡らしていけない作業がありデッキを洗えなかったが今日やっと洗えるようになったのでデッキをブラシで洗う。冬の間にアフリカから吹くシロッコの影響でデッキが土で大分汚れていた。
艇の細かい作業と手入れをした後これからの航海のための買い物に行く。
フレッシュなオレンジが美味しい。
夜はこのマリーナの整備でお世話になったRobertさん夫婦をお寿司の夕食に誘う。
彼はイギリス人でヨット全般に大変知識があり大分助けてもらっている。リタイヤーした後、ここレロス島に12年間住み冬はマリーナで仕事して夏は自分のカタマランでセーリングを楽しんでいるそうだ。まさにプロフェッショナルな男だ。
途中からここのマリーナのMinaさん と彼女のボーイフレンドも艇に来て参加して楽しい夜を過ごす。
(ID# 359) |
2013/4/11 (木) Leros 快晴
快晴で艇に居ると海の青、空の青の中に溶け込んでいるようだ。
素晴らしい天気なので午前中は車で島内観光に出かける。海の中にある教会が石の桟橋で陸と繋がっているアギオス・イシドロス教会や入り江の中にある小さな漁港を見て回る。
午後はコックピットのニスの塗りがもう一つ満足できなかったのでサンドペーパーをかけてもう一度塗る。又ジブセールをセットしたりして出航の準備をする。
夜はメールのやり取りでお世話になっていたマリーナのセクレタリーのMinaさんを誘って島一番おいしいレストランに連れて行くようお願いする。
エーゲ海は潮の干満が少なく波もないのでレストランが海辺の直ぐ脇にある。
彼女推薦のレストランは海辺の直ぐ脇にあり、外のテラスで日が暮れる迄グラスを傾けた後、日没後部屋に入りシーフードを堪能する。ギリシャサラダ、カラマリの揚げ物、ヒラメとデップ、ヒメジのグリルを地元ハウスワインで堪能する。エーゲ海の島の素朴なレストランという感じであって味も雰囲気も良く又是非来たいところだ。
(ID# 358) |
2013/4/10 (水) Leros 快晴
9日成田発のトルコ航空でイスタンブール経由アテネに着く。
初めて乗るトルコ航空であったがキャビンの雰囲気は親しみやすく好印象であった。搭乗口でコックの衣装を羽織ったCAが出迎えてくれ、又コックの衣装が似合いうれしい歓迎であった。
レロス島への乗継便はその日は無く、アテネ空港前のトランジットの時よく利用するホテルで一泊する。
翌10日朝の便でレロス島に着くが青空で素晴らしい天気が我々を迎えてくれた。前もってレンタカーを予約しておいたのでレンタカー屋さんが待っていてくれた。空港からレンタカーでマリーナに行くが途中の丘の上から見る海は飽く迄も青く、まさにエーゲ海カラーであった。 マリーナについてCAVOKⅤを探すが未だ陸の上で最後の船底塗料を塗っていた。
夕方作業も終わり海に浮かぶ。これですべての作業は完了でホッとした。
お昼はシーズンに先駆けて今週からオープンしたと云うマリーナ内のレストランで食事をする。頼んだスッキパーズ・サラダがトマト、ピーマン、赤玉ねぎそしてサラミ風ソーセージの輪切り、その上にフェタチーズがのり、それをオリーブオイルとレモンそして塩漬けペッパーで味付けしてありこの組み合わせが微妙にマッチングして美味であった。
注1:レロス島の歴史 島には古代女神アルミテミスの神殿跡がある。歴史の舞台に出てくるのは11世紀東ローマ帝国が城塞を築き、後に聖ヨハネ騎士団が城塞を譲り受けたが16世紀トルコにロードス島と同じく略奪された。又近代では第二次世界大戦でイタリアの手にあったドデカネス諸島が1943年イタリアの降伏後連合軍の占領下になるが直ぐドイツ軍の手に落ちる。その時連合軍が島から撤退するが、それを映画化したのが“ナバロンの要塞”であり、そこに出てくる架空の島ケロス島はレロス島といわれている。
注2:トルコ航空 コックの衣装を羽織ったCAが何とも言えずお似合いなので写真を撮りたく出発準備の際写真を撮っても良いかと聞いたところ忙しかったせいか、後から行きますからとその時の返事だった。 が何と到着の2時間前にコックの衣装で私の席まで来てくれ約束を果たしてくれた。私は彼女が忘れたかと諦めていたが約束を果たしてくれ、彼女の写真を撮ることができた。
そして湾岸戦争時イランに居る邦人の救出がままならないときイラン政府はトルコ航空機をテヘランに2機飛ばし邦人救出をしてくれた恩がある事を忘れてはならない。
(ID# 357) |
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