三田ヨット倶楽部の歴史
三田ヨット倶楽部は、慶應義塾體育會ヨット部出身者により構成された、80年以上の歴史と伝統を誇る、日本ヨット界最古のOB会です。会の目的は、会員相互の親睦と慶應義塾体育会ヨット部の後援・指導にあります。
戦前、戦後と、厳しい時代を超え、今に至るまでの倶楽部の歴史は、時には厳しく、時には優しい、海と自然と人間の、激動の歴史でもあります。

Independence and Self Reliance

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1933(昭和8年)第一回全日本大会優勝(平松・伊藤組)


1961(昭和36年) 人命救助で表彰された、アーゴノートII号メンバーと高村塾長


1964(昭和39年)東京オリンピック、スター級にOB石井正行君、部員大久保組出場


1964(昭和39年)東京オリンピック、ドラゴン級にOB棚町君出場


1971(昭和46年)A級全日本レース


1997(平成9年)伊藤(H4卒)国体で3位入賞

 
出来事
1932 2 17 水泳部内のヨット同好者、部内に慶應ヨット倶楽部を結成。
11 27 日本ヨット協会設立。
1933 11 3 第1回全日本学生選手権大会(以下全日本)品川沖で開催。使用艇は国際単一型A級ディンギー(以下A級)。塾チーム優勝し、全日本初制覇。
1935 5 12 第1回早慶ヨットレース(以下早慶戦)本牧沖で開催、85-79で優勝。
8 3 第3回全日本(横浜)で再び優勝。
1936 11 慶應ヨット倶楽部は水泳部から独立、塾内対抗競技部新種目団体に加盟。佐藤潔水泳部長が部長を兼任。ベルリンオリンピックに水泳部OB吉本祐一君がヨットチーム監督として遠征。
1937 5 8〜9 第3回早慶戦(第27回まで横浜で開催)116-114で優勝。
7 11 関東学生選手権大会(以下関東、第30回まで横浜で開催)で優勝。
10 5 佐藤部長退任、藤林敬三郎部長就任。
1938 1 24 ヨット部として体育会に正式加入。
5 7〜8 第4回早慶戦128-83で優勝。
6 12 関東優勝。
7 22〜23 全日本(横浜)優勝。体育会ヨット部として全勝でスタートした。
1939 5 20 横浜港で練習中、天候の激変により遭難事故発生、滝重雄、中西啓二の両君を失う。
10 4 ヨット部後援団体としてOBによる三田帆友会発足。
9 24 全国学生ヨット連盟創立。
1940 7 24 全日本(西宮)優勝。横浜新山下町のヨットハーバー完成。東京オリンピック中止。
1942 5 9〜10 第8回早慶戦、247-138で優勝。
6 28 関東優勝。
7 戦前最後の全日本(横浜)2位。
8 神宮国体海洋競技大会(横浜)優勝。同志社定期戦開始。
1943 5 9〜10 第9回早慶戦、72-56で優勝。
5 23 関東2位、両レース共一団となって帆走する船団方式が一部に採用されレースが奇形化、かつ戦前最後のレースとなる。
12 1 学徒動員令により部員多数が陸海軍に入隊。
1944 レースは一切中止となったが、塾ヨット部のみ横浜貯木場付近の狭い海面で練習続行。
7 遊船禁止令により練習は全く不可能となる。
1945 終戦により横浜ヨットハーバーを進駐軍が接収、セール2枚を除き艇、備品等一切消失。
1946 日本ヨット協会のA級ディンギーの配給を受け、ヨット部再建始動。
1947 6 6 再開された第10回早慶戦は惜敗(得点不明)。
6 22 再開の関東優勝。
8 15 再開の全日本(博多)優勝。
1948 5 8〜9 第11回早慶戦115-97で優勝。ヨット協会および学生連盟でスナイプ級を採用、翌年よりレース実施を決定。
1949 8 6〜7 全日本〔半田)A級にスナイプ級も加わり総合優勝。27フィートクルーザーを購入、アーゴノート号と命名。
1950 5 6〜7 第13回早慶戦158-118.5で優勝。横浜ヨットハーバー接収解除。
1951 5 5〜6 第14回早慶戦144-127.5で優勝。
6 横浜山下町所在横浜セーリングクラブの建物を購入、合宿所として使用開始。
1952 5 3〜4 第15回早慶戦176-156で優勝。
6 13〜14 関東優勝。
8 13 全日本〔琵琶湖)優勝。
9 OB鎮目守治君、ワタリドリ号に乗り組み、セーリングによる初の太平洋横断に成功。
1953 5 2〜3 第16回早慶戦176-168で優勝。
6 13〜14 関東優勝。(学生ヨット会の興隆に伴いレース出場校が急増、関東、全日本共に予選を経て決勝進出となったため、1955年以降は両競技共上位入賞を年表に記載)
1955 5 7〜8 第18回早慶戦234-205で優勝。
6 1 三田帆友会の名称を三田ヨット倶楽部と改称。
1956 5 6 第19回早慶戦227-155で優勝。
6 1 細谷英吉新ヨット部長が就任。
6 9〜10 関東2位。
8 3〜5 全日本(高松)2位。
1957 5 3〜4 第20回早慶戦220-210で優勝。
10 体育会加入20周年記念式典を合宿所で挙行。
1959 6 13 関東3位。
1959 10 16〜25 スナイプ級世界選手権大会(ブラジル ポートアレグレ市)にOB石井正行君、川田節郎君、部員古屋静男君が選手として、OB高村孝君がマネージャーとして参加、3位を獲得。
1960 6 18 関東優勝。法政OB所有のクルーザーを購入、アーゴノートIIと命名。ローマオリンピック、ドラゴン級にOB石井正行君、鈴木節郎君出場。
1961 5 28 アーゴノートII号は大島レース途上漂流中のサガミ2号を救助、高村塾長より表彰されると共に小泉元塾長から”衷心から敬意を表する”旨のお手紙を頂く。
10 19 部員三井高具君、横浜港外で練習中転覆遭難、一命を失う。
1962 5 5〜6 第25回早慶戦351.25-320.25で優勝。
1963 5 4〜5 第26回早慶戦330-328で優勝。
3 20 三田ヨット倶楽部会長坂倉隆吉君より平松栄一君に代わる。
1964 横浜港外の埋立工事が始まり、この年からレース海面使用不能となる。
10 10〜21 東京オリンピック〔江ノ島)スター級にOB石井正行君、部員大久保隆史君、ドラゴン級にOB棚町三郎君出場。
1965 4 金子芳雄新ヨット部長就任。
1966 5 14〜15 第28回早慶戦(第33回まで葉山で開催)329.75-323-25で優勝。6大学戦開始。
1967 5 6〜7 第29回早慶戦352-324で優勝。6大学戦優勝。
1968 5 4〜5 第30回早慶戦361.75-310.25で優勝。
1969 この年以降レース得点は減点法に改正。6大学戦優勝。関東優勝。
1970 関東3位。
1971 5 1〜2 第33回早慶戦179.25-262.75で優勝。
6 11 三浦市三戸浜に待望の新合宿所が完成。全日本(鬼ケ崎)A級で優勝、これにより小泉体育賞を受賞。
1972 4 救助艇日吉丸建造。
5 6〜7 第34回早慶戦(以降三戸浜で開催)171-267で優勝。
1973 9 山崎努新ヨット部長が就任。A級のレースが廃止、代わって国際470級採用。
1974 5 4〜5 第36回早慶戦59.5-66.5で優勝。
1975 5 31〜6/1 第37回早慶戦144-152で優勝。
1980 5 31〜6/1 第42回早慶戦148.25-152.25で優勝。全日本(西宮)総合5位。
1981 関東3位。6大学戦優勝。全日本(小戸)総合7位。
1982 9 ヨット部創立50周年記念式典並びに祝賀会、石川塾長他を迎え盛大に挙行。
1983 4 箕輪秀二新ヨット部長が就任。
1984 ヤンマー製救助艇日吉丸進水。
8 高校早慶戦開始、初戦勝利。
1985 6 1〜2 第45回早慶戦145.25-152.25で優勝。全日本(小戸)総合9位。同志社定期戦20年ぶりに再開。
1987 6 6〜7 第47回早慶戦78-78で史上初の引き分け。6大学戦優勝。全日本(琵琶湖)総合8位。
1988 6 4〜5 第48回早慶戦69.5-73.5で優勝。6大学戦優勝。全日本(宇品)総合6位。
1989 全日本が秋季開催となる(江ノ島)。総合9位。三田ヨット倶楽部会長宮下四郎君に代わる。
1990 3 ヤマハ製救助艇日吉丸進水。全日本(江ノ島)総合9位。伊藤・石黒組が全日本個戦優勝により小泉体育賞、山田・長嶋組が関東個戦優勝により同努力賞を受賞。
1991 6 1〜2 第55回早慶戦101-187で優勝。通算成績は本塾の28勝22敗1引分。
4 早野勝巳新ヨット部長が就任。関東、20年ぶりに総合優勝。
7 三田ヨット倶楽部会長が河本文彦君に代わる。
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